2018/10/17
万世特攻平和祈念館
10月14日
埼玉県議会英霊にこたえる議員連盟で、10月14日、15日と鹿児島・知覧に視察に行ってまいりました。
1日目は、万世特攻平和祈念館を視察説明を受けました。
この飛行場は、昭和19年の終わり頃、陸軍最後の飛行場として建設され、終戦間際の4か月間しか使われなかったので、幻の特攻基地といわれているそうです。
そしてこの特攻基地から17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が祖国を護るため沖縄に出撃していったそうです。
この記念館があることは知りませんでしたが、今回の視察でしることができました。
平和祈念館の外観は練習機「赤とんぼ」の複葉型を模し、大屋根に平和を祈る合掌をイメージした「複葉合掌型」になっているとの説明を受けました。
埼玉県議会英霊にこたえる議員連盟で、10月14日、15日と鹿児島・知覧に視察に行ってまいりました。
1日目は、万世特攻平和祈念館を視察説明を受けました。
この飛行場は、昭和19年の終わり頃、陸軍最後の飛行場として建設され、終戦間際の4か月間しか使われなかったので、幻の特攻基地といわれているそうです。
そしてこの特攻基地から17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が祖国を護るため沖縄に出撃していったそうです。
この記念館があることは知りませんでしたが、今回の視察でしることができました。
平和祈念館の外観は練習機「赤とんぼ」の複葉型を模し、大屋根に平和を祈る合掌をイメージした「複葉合掌型」になっているとの説明を受けました。